8月25日(土)
江戸時代、日本は300ほどの藩に分かれていました。
その分け方の基本にあるのは、河川流域であったとされています。
藩内の「治山」「治水」と、石高の基礎となる農地の管理。それを徹底させることで、江戸幕府は長きに亘る繁栄の基礎を築いたのです。
日本列島は、太古の昔から地震や水害など、自然災害の多い地域です。
その災害から被害を治めるために、各地では、様々な普請(土木工事)が行われてきたのです。
各地域の住民が藩命によって行ってきた様々な普請、明治時代に入り、日本という国に統一されたことで、国の公共事業として行われるようになりました。
工事も、地域の住民が中心であったものを、だんだん企業が人を雇って行うようになったのです。
時代の変化によって、工事の規模や内容も大きく変わってきたのですが、必要とされる工事は永遠に続いていきます。
頻発する自然災害や、設備の老朽化が、日々襲ってくるからです。
今回の豪雨災害やジェノバの高架橋陥落事故、そこには多くの示唆があると思います。